2018.09.13
引き続き、イギリス(ここではイングランドとウェールズの制度を主に念頭に置いている)の自動車保険制度又は交通事故補償制度について書いていく。
例えば、次のような場合を想定してみよう。
信号のある交差点内で車同士の出会い頭事故が発生したものの、双方が青信号の主張をして譲らない、目撃者もいない、いずれが正しいか不明である、という場合である。
このような場合でも、裁判所が当事者の主張の信憑性を慎重に検討し、白黒つけてしまう場合が多いとは思う。しかし、理論上は、十分な審理をしても依然として不明のままということも生じ得る。
そういった場合、少なくとも人身損害に関しては、日本の場合、理論上はいずれの請求も認められるという結論になってくる。その根拠が、自賠法3条である。
つまり、自動車事故の被害者を救済するため、相手方に過失があったことを積極的に立証できなくても損害賠償請求を認めている。もし加害者が賠償責任を免れたいなら、自分に過失がなかったことを積極的に立証しなければならず、それができない以上は責任を負うこととなっているのである。
このように日本では、人身損害に関しては、過失責任主義の立場を維持しつつ、特別法を設けて過失の立証責任を法律上加害者側に転換し、被害者救済を図っている。
これに対し、イギリスでは、自動車事故に伴う賠償責任に関し、日本の自賠法のような特別法は設けられていない。あくまで加害者の賠償責任に関しては、コモンロー上の原則である過失責任主義が適用され、加害者に過失があったことの立証が必要とされている。このような制度が、被害者保護の観点から問題があるとの批判は、当然存在する。諸外国の中には、こうした過失責任主義を放棄し、ノーフォルト制度(加害者の過失を問わず補償を認める制度)を導入している国も存在するし、そのような議論は現在でも活発に行われている。あくまで過失責任主義の立場を維持しようとする辺り、伝統を重視する保守的なイギリス人の気質が窺え、面白い。もっとも、イギリスでも、自動車事故によって被害が発生している以上は、加害者に過失があったものと事実上推定し、加害者からそれを覆す反証が無い限り過失があったものと認定するというコモンロー上のルールを適用し、被害者救済を図っている。特別法による法律上の立証責任の転換ではないが、結果的には日本と似たような状況がつくられているといえる。
過失に関する興味深い問題としては、他にも過失相殺の問題がある。加害者に過失がある場合には賠償義務が発生するが、同時に被害者にも過失がある場合には、その過失の程度に応じて賠償義務が減額される。これを過失相殺という。
イギリスでは、かつて(随分と昔だが)、被害者にも過失がある場合には、一切の賠償請求を認めないという極端な立場が採用されていた。これを寄与過失(contributory negligence)という。しかし、これでは柔軟かつ妥当な結論を導くことは難しいので、現在は、被害者の過失の程度に応じて賠償額を減額する比較過失の見解が採用されている。この比較過失が、日本でいう過失相殺と同様の考え方である。
このように見ていくと、過失の問題に関しては、日本とイギリスは似た立場をとっていることが分かる。
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